金沢でフランス語、英語、美術を学び、ナンシーへの留学を目論む、はぐれ医学生のブログ。至高にして究極の人形を生みだすために奮闘中。 急げ!人生には学ぶべきことが多すぎる。
page top
大阪まで文楽観賞に
  人形ってじっとしてればいいのか?役目を果たせるのか?少なくともわしの構想の中では、そんな彫刻じみた、悪く言えば置き物に過ぎないオブジェは面白くない。で、泣いたり笑ったり謡ったり舞ったりありの日本の誇る伝統的な人形劇を観るために国立文楽劇場に足を運んだ。文楽見に来る趣味なんて持ってる人は少ないやろー、って勝手に思ってたが、西遊記は満席で、親子連れも目立った。子供の座高が高くなるようにクッションを配っていた。学生は一部あたり半額の2,300円なり。学生券も一般と同様ネットで買えるようにしてほしい。なぜかフランス語のパンフが置かれていたのでゲットー。

第一部
西遊記〜悟空の冒険〜

閻魔王宮の段
桃園より釜煮の段
火焔山より芭蕉洞の段
祇園精舎の段

  文楽を子供も楽しめるエンタに仕上げた作品。人形も舞台もよく動く。一番印象に残ってるのは、わっしゃわっしゃとゴムで作られているみたいに伸縮する油釜と二十年前の特撮みたいな舞台装置の展開。文楽では使わないものと思い込んでので、悟空が宙乗りしたときは驚いた。悟空の行動がハチャメチャでそれだけでもおかしいのだが、笑うつぼも織り込まれいる。例えば猛獣に化けて牛魔王と戦うシーンでは、なんと悟空がくいだおれ人形に化け、対する牛魔王はグリコ看板に変身する!よく張った声で息切れもせずに一人数役をこなす大夫は見事。字幕もあるので台詞を逃さずに済む。まあこちらは現代語なのであまり必要ないが。

  連続で観るのは辛いので第二部は見なかった


第三部
国言詢音頭

大川の段
五人伐の段

   あらすじ
  藩の金に手を出すほど一人の女郎に入れ込んでしまった男。だが女郎には恋人(男の知り合いで、他に許嫁がいる)がおり、男は通りがかりに二人が自分の悪口を言っているのを聞いてしまう。復讐の炎を燃え上がらせる男。男の帰国パーティーに呼ばれた二人は、関係がばれてしまったことを知る。男に殺されるぐらいなら心中する覚悟の二人。しかし男は「粋だ」と言って二人を許した、かに見えた。夜中、皆が寝静まった後に刀を手に戻ってくる男……。復讐を遂げた男はゆっくりと血に染まった足を洗い、謡を口ずさみながら帰っていく。

  ばっさりばっさり男が無関係の人も殺していくさまは、残虐非道。実写やアニメになったとしたら確実にR18指定だ。堂々と上演されるのは人形を遣う文楽ならでは。三人で一体の人形を操って声も別人なんて非効率で変やなあ、なんて思っちゃう人もこの作品を見ればわざわざ人形を遣う意味が分かるだろう。文楽人形は役者よりも小説の登場人物に近い。舞台や演出も然り。三味線の音が恐怖をいっそう引き上げる。こういう昔からの作品では字幕は助かる。時代背景が違うんで容易には言えんが、この男は勝手だなー。殺せるほど人を愛せるのは羨ましいけど。

  これはわざわざ観にいく価値あるわー。

page top
彫刻制作メモ2
初めての全身像
  待ちに待った夏休み!の前に、授業課題を仕上げなくてはならないのだった。初めての全身・等身像。四月から三時間×十日、モデルさんをじっくり観察し絶えず手を動かして作り続けてきたはずなのだが、まだ顔さえできていなかった。これはイカン、関西名建築巡りが待っているのによう!一番乗りで石膏取りを済ませてしまうためにわしはバリバリ働いた。土曜日からの追い込みは凄まじく、彫刻室に炊飯器を持ち込むほどであった、ってなわけでブログの更新も遅れてしまった。

  もし人間の解剖学的な形だけを追及することを彫刻と呼ぶのなら、身体をそのまま写し取った像が百点満点、究極の到達点ということになってしまう。実際のところ多くの人が美しいと感じる彫刻は人間のコピーではなく、作者の肉体の捉え方や人生の哲学が滲み出るようにどこかが強調されていたり省略されていたりするのだ。サモトラケのニケなんかは在りえないプロポーション、在りえない翼、在るはずのものがない頭部と腕部を備えているくせにずいぶん愛されている。

  E藤先生によると二つの触覚が大事らしい。脇腹の部分は触ったら柔らかそうだ、ここは骨が皮膚のすぐ下にあって硬そうだ、と見て取れるのが視触覚。乳房がくっついてるのってどんな感じなのか、この姿勢で立ってるんならこの筋肉が緊張してるはずだとか想像できるのが内触覚。

  他に口をすっぱくして言われたのが面、張り、奥行き。わしはまだまだ表面上の形ばっかり追っているそうで、先生からかなりの修正を受けてしまった。たしかに今まで作ってきた作品の中では一番良い出来だが、まだまだ独力で作るのには程遠いので50点といったところ。

  ところで、彫刻室にはソファとか冷蔵庫とか電子レンジとか一通り揃っているが、一番存在が有難いのはラジヲである。角間は山奥なので電波状態はそれほど良くはないのだが、ラジヲ無しで一人黙々と作業していてはもういーや帰ろー気分に陥るのが5時間は早まるだろう。ラジアンリミテッドや日産アベレイジみたいなおバカな番組が放送されているのは本当に助かる。伊集院光の深夜の馬鹿力、西尾維新がインタビューで語ってたから聞いてみたいんだが北陸では聞けないのかなあ。ポッドキャスティングじゃなくてラジヲで、作業しながら聞きたいのだが。
page top
カミン・ラーチャイプラサート「31世紀こころの美術館とは?」を聴きに行く
前の土曜日の話。21世紀美術館。10月から始まる金沢アートプラットホームの参加アーティストの一人、カミン・ラーチャイプラサート氏が自己のアート観と作品のコンセプトについて語った。わざわざ国外から招かれるほどのアーティスト、どんな人生哲学を持っているのか気になったので聴きに行く。

最初に館長の挨拶。参加アーティストは「自己表現に留まらず社会に提供できるものがあるか?」との観点から選ばれたとか。1964年生まれタイ出身のカミン氏は「The Land Foundation」というプロジェクトを率いている。

まず彼の作品についての解説。

初期。省略。

1990年、生きることの意味を模索する彼は、毎日一つの作品を仕上げていき、自分の足跡を確かめようとした。
毎日自分の足型をスタンプする。さらに、毎日の出来事を小さなキャンバスに描きつける。展覧会ではキャンバスを床一面に格子状に並べ、鑑賞者にそろりそろりと間隙を縫って進ませた。壁には足型が延々と貼ってある。ここまで、極めて内省的である。
毎日新聞を読み、心に引っかかった記事をモチーフに彫刻を作る。そして作品を記事の載った新聞紙で包む。二年の後彫刻を包む記事を読み返してコメントを書く。社会との関わりを意識し始めた?
毎日廃棄されたお札で仏像を作る。聖に潜む俗。拝金主義への批判?この時期の代表作は首と膝で三分割にカット、分離されたお札製の仏像。ある一直線上から見れば完成した仏像が見える。その他の方向から見れば奇妙なお札のかたまり。
一つ一つの作品の完成度はお粗末なものだ。驚愕すべきは約365の作品がずらりと並ぶ姿、作品と言う形で毎日記録し続けなければならない衝動、執念である。

さて、彼が選ばれた最大の理由である「The Land Foundation」とは、理想のムラづくりである。最初は老後に友人たちと楽しく過ごせる場所を作ろうと始めたそうだ。放棄された土地を耕し、小屋を建て、制作してひねもす過ごす。土地も小屋も作品も誰のものでもなく誰のものでもあり、皆が自由に使う。あるときはティーサロンであり、あるときは若手アーティストの展覧会場になり、あるときは哲学者との語らいの場になる。国外からアーティストがやってきて水牛からバイオガスを作ろうとする、自然との共生の実験場でもある。また、美大生が想像力を広げて長期プロジェクトを立ち上げる教育の場でもある。

で、そんな彼が金沢で開く31世紀こころの美術館とは何か? 誰もがアーティストになれる、キュレーターになれる、オーナーになれる、そんな企画らしい。参加者が少ないとサミチィー企画らしい。気になる人は検索してみるべし。

(う〜ん、駄目だな…。その日の内に書かないといまいちまとめられない…。)

page top
美術手帖7月号の特集は日本のアーティスト
正直な話、コンテンポラリー・アートは一体何を伝えたいのかわかったことがなかった。うりうりと手を振り回してみたらこんなんできました、ってのが腐るぐらいに洪水みたいに溢れていて、何の因果か因縁か知らないけど人目を多く惹きつけちゃった幸運な作品が美術館やギャラリーに並ぶのかいな?みたいな偏見しか持っていなかった。(ファイン・アートにだってそう思うことがままあるけど。)だが今回の特集でアーティスト自らアーティスト論を振りかざしているのを読んで考えを少しだけ変える。彼らの言葉は詩的で哲学に満ちている。内省的なものもあれば、外に働きかけようって言葉もある。作ることでしか伝えられないことがあるから作っている、そんな真摯な姿が垣間見える。でもやっぱり何の説明も無くあの作品の前に立ったら、どんな表情をしていいか分からなくなる確信がある。

西尾康之、陰刻法で有名な人。とてもきれいな水死体を描く。陰刻法というのは、普通の塑像が外側→内側にねちょりと粘土を貼り付けて整形していくのに対し、内側→外側に形作って行く方法らしい。解説によると、鑑賞者は普通の塑像に対しては製作者と同じ立ち位置から作品を見る。陰刻法の彼の作品に対しては、鑑賞者は彼と向かい合う格好になる。ならばあのセイラ・マスを見上げるときも、ふと彼と目が合ってしまう瞬間があるはず。気持ちのいいものではない。見るものと見られるものの逆転。これがアート。

デミアン・ハーストってイギリス人も紹介されている。牛の頭部と蝿を密室に閉じ込めて、蛆がわいて蛹になって羽化して交尾して卵を産んで電熱灯に突っ込んで死ぬ様子を見せるとか、単なる牛やサメのホルマリン漬けだとか、蝶の羽を何万枚も貼るとか、8mの人体模型だとか、数十億円かけてダイヤでギラリと輝くシャレコウベを作っちゃうとか、およそアートという言葉からは想像できないと言うより、もうどんな言葉で呼ぶこともできない。言葉は枠を作る。芸術家は革命家で冒険かだ。相性はお互い良くないだろう。

↓ハーストの作品の動画はこちら。ちょっとグロテスク。


誰もが程度の差こそあれ自己顕示欲を持っている。みんなから注目されたいし、褒められたいし、話を聞いてほしいし、崇められたいと思っている。そんな数え切れぬ競争相手たちと張り合って成り上がってきたアーティストの自己顕示欲に感服した。
page top
モナリザの暗号?
 次の作品は母をモデルに母子像を作るつもりだ。母が是非に是非にと言うもんだから。家族をモデルにするのは誰かを雇うのに比べて随分とお得なので断る言が無い。金がかからない、気兼ねしない、触ってもよいし、孝行にもなる!

 母子像はキリスト教圏でなくとも人類普遍のテーマ。構図を考えるために偉人たちの作品は大いに参考になる、というより今回は欠くべからざると言うべきだ。母の要望に従うと、いないはずの赤ちゃんまで作らなくてはならない……。無茶な。てことで美術研究科図書室に初潜入を果たした。なぜかチョッパーのぬいぐるみがひっそりと佇んでいる!この部屋で密室殺人事件が発生したとき、すかさずクリティカルな役割を果たそうと機会を窺っているようだった。

 E藤先生の話によると昨今の小学校の美術鑑賞教育では、子供たちに自由な発想をさせよう、個性を潰しちゃいかん、ってことで一般的な学説はあえて教えないようにしてるらしい。でも高学年になってもそのままでいいのか?通説を一旦知ってしまうと縛りのない感想は再生不可能なのか?どうだろう。知識に飲み込まれる程度のちっぽけな個性は、保護する価値なんてないと思うがね。

 図録を見ながらモナリザの鑑賞すべき点を教えてもらった。
 答え方は人それぞれだろう。

「ルーブルで実際に目にしたときどう感じた?」
「この人は男?女?」
「年齢は?」
「身長・体重はどのぐらい?」
「なんで眉毛が無いの?」
「どうして黒い服を着てるの?」
「座ってるの?立ってるの?」
「この人は笑ってるの?怒ってるの?」
「顔の上半分、あるいは下半分、左半分、右半分を覆っても表情は変わらない?」
「背景に何が見える?」
「気候は?」
「天気は?」
「左の背景と右の背景は高さ違わない?」
「左の湖と右の湖はどっちが水量多い?」
「なんで人物と背景と別個に描かなかったの?」

 こういうポイントを突くだけでは、小学生の鑑賞と変わらないわな。
 作者の意図を酌み、歴史的価値を認めるためには、学者の見識に耳を傾けるべきだ。

 E藤先生曰く、を簡潔にまとめると
「レオナルドは無神論者の科学者だった。世界を構成する4大元素火・水・土・空気の中でも特にに注目していた。水は火を消すことができるし、土を削り取れるし、蒸発すれば空気に舞うこともできるでしょ?背景は水の状態の遷移によって創世から終末までを表している。すなわち右奥は深く水を湛えた母なる海を、左奥は大地の誕生とその上に流れる川を、右手前の橋は文明の夜明けを、左手前は水が枯れ果てた滅びの世界を描いているんだ。人物像は中性的な顔立ちの喪服を纏った妊婦。表情は一見微笑んでいるようだが、どうとでもとれる複雑なものだ。つまり背景で自然の、人物で人間の一生を描き、コズミックな不可分のつながりを示しているのである!」

「マジですか!500年前の人間がそんなことを考えていたなんてビックリだ!」
 久々に感動させられた。

 随分流行おくれだけど、「ダヴィンチ・コード」を観た。うーむ。途端にレオナルドのメッセージが胡散臭くなってきたぞ。いや、見方を変えれば革命的?これがロマン?本が世界中でバカスカ売れたらしいが、清涼院流水を翻訳したら一億部いけるんじゃない?でも無理か。あの翻訳は。
page top
祝・入選「第63回富山県展」
今日から金曜日まで県民会館にて。会員作品は近代美術館と水墨美術館にて。自分の未熟な作品が衆目に晒されると、もっといいの作らなきゃな―って思う。審査員に上手い人がいたら尚更である。

 今日は立山でスケッチ合宿(と言うよりトランプ合宿?)なので明日観にいく予定。
page top
彫刻制作メモ1
kajakjklskj


 わしが彫刻をするようになって1年と4ヶ月。その間に作った作品は、明日完成予定のを含めてたった3点。ロン・ミュエックより寡作でどうする!

 そしてどの制作でも先生や先輩のアドバイスにかなり頼ってきた。独りでどこに注目すべきか考え客観的に評価し制作できるようにならなければ、自分の作品だと胸を張って言えるはずがない。少なくとも人間の頭像に関しては。

 一作ごとに成長しなければ何年経ったところで表現者にはなれない。昔読んだ小説ハウツー本にも書いてあった。「ネタを出し惜しみして書いていても成長はない。一つの作品に全身全霊をつぎ込んで初めて今を超える作品が書けるようになる。」そのためには、月並みだけど、目標をはっきり決めること。その達成のために全力を尽くす。そして失敗したと思ったら胸に刻んでおくことだ。

 ということで今回の制作メモ

目標「女性の頭の特徴を掴むこと、期限内に作ること。」
観察:
触ったら硬そうか、柔らそうか、はね返されそうか、へこみそうか?
主だった面はどこを向いている?

塑像:
土台は粘土抜きのときに取り出しやすいか?
顎の肉に奥行きが感じられるか?髪とおでこの境目はどうなっている?
側面がスッポーンと抜けていないか?頬でもっとも前に、横に張っている点は?髪では?
眼輪や口輪の筋肉の流れを意識しているか?
人間の頭蓋骨は正面から見るよりも奥に伸びている?
一箇所に気を取られすぎてないか?
下端の切り取り方や台に載せたときのイメージを考えている?

石膏取り:
切り金は石膏を塗りやすい位置に差しているか?耳の後ろは?
耳や髪の尖った部分の粘土はすべて抜いたか?
鼻や唇、眼に細心の注意を払っているか?
雌型は十分に水を吸収させたか?石鹸塗った後も浸したか?

着色:
金属粉はラッカーでちゃんと混ぜ合わせないと剥がれやすくなる。粉:ラッカー:シンナー=1:1:4。ここを均一に塗らないと上塗りでもムラが出る
いきなり塗らない。ちょこっと載せて感じを見てまた調合する。水っぽいのは絵の具の無駄。色が淡すぎるのも。
ツヤ出しはポイントを絞って。

台作り:
まっすぐになってる?
穴を穿つときは小→大で。
作品を乗せて映える?ニス塗った?

女性の頭の特徴は?:
全体的に丸みを帯びている。堀の深い浅いは個人によって違う。細かいところはいまだに謎だなァ。

期限内に仕上げられたか?:
すいません!

人形に着手するのはいつになるやら?先は長いな……。
ガンプラ相手に塗装の練習をしよう。




© Holiday助の「根掘り葉掘り」リポート. all rights reserved.
ホームページ アフィリエイト レンタルサーバー FC2ブログFC2管理用
Page top
FC2 BLOG