金沢でフランス語、英語、美術を学び、ナンシーへの留学を目論む、はぐれ医学生のブログ。至高にして究極の人形を生みだすために奮闘中。 急げ!人生には学ぶべきことが多すぎる。
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フランスにいる間は家庭教師として働いたり、あるいは学校の彫刻室を借りて制作できる環境が得られるとは思えない。では自分の想像力をどう形にすればいいのか?を考えるに、答えは簡単だ。ペンと紙さえあればできる仕事がある。もちろん漫画家じゃなくて、小説家だ。現代ならノートパソコンさえあればいい。
自分の書く文章に自信が持てないとき、谷崎潤一郎の短編や山本周五郎の長編の冒頭部分を原稿用紙に写し取ることがある。実に美しい日本語だ。名画を模写して絵を描く技術が向上するのと同様の効果が、文豪の文章を写すことにも見つけられる。今回は、わしはキーボードで文字を打つことに慣れていないので、指慣らしのために好きな小説家の好きな小説を打ち込んでみることにする。こうしておけば海外にいても読み返せるし。行間は広いし二百ページもないし、この程度ならさっくり終わりそうだな……、と軽く思っていたのが夏休みの始まる前の七月で、引っ越し前にだだだだだー!とラストスパートをかけてようやく終わったのが昨日の未明のことであった。 約六万文字。四百字詰め原稿用紙に書式を替えると、二百枚足らずだということが分かる。ああ、原稿書くのってやっぱり大変なんだな、と写し切った文章を眺めて思う。しかもこれは他人の作品を読んでそのまま打ち込んだだけの文章なのだ。作業だ。自分の頭で考え悩み想像力を全開にして創作の感動を味わいながら書いた文章ではない。わしは自分の作品に着手する前に生みの苦しみに気付く。だがわしは、プロとの格差にやっかみを感じわしにゃどうせ向いてねーよ物書きなんてよ、って泣き言を漏らすためにわざわざこの作業をしたわけではない。少なくともWORDを開いてパソコンに向かい合える時間は長くなったし、タイピングのスピードもましになっている。わしは胸で温めていて度々ノートに記していた、自分がこれから書く作品の世界設定や登場人物や彼らの相関関係や巻き込まれる出来事に思いを廻らせ、でも舞城の作品で暴発する事件に比べてかなり印象が弱いよなあと感じて、物語を自分でも起こってほしくない方向にひん曲げようとする……。 劇中で、主人公である青年作家は、死の床に臥せる恋人を、愛し過ぎるくらいに愛する。 でも愛って何だろう?愛について描かれた小説や映画とかは多く見てきたはずだし、ラジオから垂れ流される愛の歌をいつも聞いてはいるけど、自分の脳みそで実感したことはない。 彫刻室の大掃除をしている間、ラクスのフィギュアが視界に入って、そこから始まった彫刻や人形に関するいつも通りの何ともない会話の流れから、E藤先生に、「Hくん、人のこと本気で好きになったことないでしょ?逃げてるんでしょ?」と言われるが、その台詞は、友達面した人たちがよく口にする言葉だな、としか思わない。お説教ですか?と聞くと、忠告だよ、と答える。先生は見てきたドラマや映画の流れに合わせて、というよりも合わさせられて、その場面で言うべき台詞としての台詞を言っただけなんだろうか。それともわしには言っておかなくてはと心底わしの心配をして言ってくれたんだろうか。悩んだわしは、その晩クックにチキポロを一緒に食べに行った女の子に、「彼氏のどこが好きなの?どうして愛してるの?」と、恋人を持つ人によく聞く質問をぶつけてみる。優しいから、話を聞いてくれるから、理解しようとしてくれるから……という、これまたよく聞く答えが返ってくる。でも、相談聞いてあげるよ〜何でも話してね〜とか言って自分に積極的に関わってこようとする人って、ウザいし、放っといてくれよって思うけどね、なんてことを言うと、そんな感じのうちは恋人はできないだろうね〜、とやっぱりよく聞く答えが返ってくる。 答えが予想できる質問をするのは、その答えを確認して嬉しいわけじゃなくて、ひょっとしたら何か目の覚めるような答えを返してくれるかも……と勝手に期待しているからだ。 パンダって可愛いよね。 |
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最近のネットカフェは便利過ぎるくらい便利だ。ネットし放題、漫画読み放題、ドリンク飲み放題、シャワーもあるし、DVDもPS2もあるし。日焼けマシーンのあるところまである。しかも一晩の利用料はビジネスホテルの半分かそこら。住まう人が出てくるのも頷ける。だが個室でも鍵は掛けられないし、まっすぐに立つと隣の席からでも廊下からでも簡単に覗かれてしまうので、リラックスして眠ることはできない。
寺社仏閣は閉門が早い。だいたい五時くらい?午前中から行動を開始しないと数軒見てその日はお仕舞い、になってしまう。ほぼ夜通し漫画を読み耽っていたのでナイトパック10時間を延長することもなく朝早く出発して、ふらふらの体で何とか大阪環状線に乗り込む。大阪から新大阪、京都まで。一時間もせずに到着する予定だったのだが、ふっと目を閉じてはっと外を確認すると、大阪駅を通り過ぎてもう6駅も過ぎている。寝ている間にとんでもない方向に移動していて戻ってくるのに一日がかり、なんて展開は環状線だからこそない。助かった。熟睡している間に一眼レフを掠め取られる展開も、パリかローマではないのでない。ほっとした。どうせ一周して大阪まで行くんだからとそのまま座っていると、また頭がぼんやりしてきて、気が付くと桜島だった。やばっ……環状線から外れることもあるんだ……ユニバーサルシティで親子連れがどかどか降りていくのにも目覚めんかったんか〜、とわざわざ旅先でネットカフェに泊まる愚を実感し始めた。やっと乗り継ぎに成功して京都線へ。これで一安心と思っていると、いつの間にやら電車が逆行しているようだった。高槻→摂津富田。なぜにかッ!とすぐに次の茨木で降りて対向するホームへ。どうやら一旦京都駅に着いた電車が折り返し大阪まで戻っていくところだったらしい。なぜ京都で起きなかったんだ?駅の喧騒など講義室の最前列でも眠れるわしには無意味なのか?いや、こりゃ単に寝不足だったんだ……。 ってわけで次に観光にしに行くときはせめてカプセルホテルに泊まろうと思うのだった。観光情報がネットで探せるからいいじゃんと思いきや、結局読みたい漫画が多すぎて調べる時間がなかったしな……。カイジとかシグルイとか嘘喰いとかキングダムとかおせんとか……。 |
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人形ってじっとしてればいいのか?役目を果たせるのか?少なくともわしの構想の中では、そんな彫刻じみた、悪く言えば置き物に過ぎないオブジェは面白くない。で、泣いたり笑ったり謡ったり舞ったりありの日本の誇る伝統的な人形劇を観るために国立文楽劇場に足を運んだ。文楽見に来る趣味なんて持ってる人は少ないやろー、って勝手に思ってたが、西遊記は満席で、親子連れも目立った。子供の座高が高くなるようにクッションを配っていた。学生は一部あたり半額の2,300円なり。学生券も一般と同様ネットで買えるようにしてほしい。なぜかフランス語のパンフが置かれていたのでゲットー。
第一部 西遊記〜悟空の冒険〜 閻魔王宮の段 桃園より釜煮の段 火焔山より芭蕉洞の段 祇園精舎の段 文楽を子供も楽しめるエンタに仕上げた作品。人形も舞台もよく動く。一番印象に残ってるのは、わっしゃわっしゃとゴムで作られているみたいに伸縮する油釜と二十年前の特撮みたいな舞台装置の展開。文楽では使わないものと思い込んでので、悟空が宙乗りしたときは驚いた。悟空の行動がハチャメチャでそれだけでもおかしいのだが、笑うつぼも織り込まれいる。例えば猛獣に化けて牛魔王と戦うシーンでは、なんと悟空がくいだおれ人形に化け、対する牛魔王はグリコ看板に変身する!よく張った声で息切れもせずに一人数役をこなす大夫は見事。字幕もあるので台詞を逃さずに済む。まあこちらは現代語なのであまり必要ないが。 連続で観るのは辛いので第二部は見なかった。 第三部 国言詢音頭 大川の段 五人伐の段 あらすじ 藩の金に手を出すほど一人の女郎に入れ込んでしまった男。だが女郎には恋人(男の知り合いで、他に許嫁がいる)がおり、男は通りがかりに二人が自分の悪口を言っているのを聞いてしまう。復讐の炎を燃え上がらせる男。男の帰国パーティーに呼ばれた二人は、関係がばれてしまったことを知る。男に殺されるぐらいなら心中する覚悟の二人。しかし男は「粋だ」と言って二人を許した、かに見えた。夜中、皆が寝静まった後に刀を手に戻ってくる男……。復讐を遂げた男はゆっくりと血に染まった足を洗い、謡を口ずさみながら帰っていく。 ばっさりばっさり男が無関係の人も殺していくさまは、残虐非道。実写やアニメになったとしたら確実にR18指定だ。堂々と上演されるのは人形を遣う文楽ならでは。三人で一体の人形を操って声も別人なんて非効率で変やなあ、なんて思っちゃう人もこの作品を見ればわざわざ人形を遣う意味が分かるだろう。文楽人形は役者よりも小説の登場人物に近い。舞台や演出も然り。三味線の音が恐怖をいっそう引き上げる。こういう昔からの作品では字幕は助かる。時代背景が違うんで容易には言えんが、この男は勝手だなー。殺せるほど人を愛せるのは羨ましいけど。 これはわざわざ観にいく価値あるわー。 |
![]() 待ちに待った夏休み!の前に、授業課題を仕上げなくてはならないのだった。初めての全身・等身像。四月から三時間×十日、モデルさんをじっくり観察し絶えず手を動かして作り続けてきたはずなのだが、まだ顔さえできていなかった。これはイカン、関西名建築巡りが待っているのによう!一番乗りで石膏取りを済ませてしまうためにわしはバリバリ働いた。土曜日からの追い込みは凄まじく、彫刻室に炊飯器を持ち込むほどであった、ってなわけでブログの更新も遅れてしまった。 もし人間の解剖学的な形だけを追及することを彫刻と呼ぶのなら、身体をそのまま写し取った像が百点満点、究極の到達点ということになってしまう。実際のところ多くの人が美しいと感じる彫刻は人間のコピーではなく、作者の肉体の捉え方や人生の哲学が滲み出るようにどこかが強調されていたり省略されていたりするのだ。サモトラケのニケなんかは在りえないプロポーション、在りえない翼、在るはずのものがない頭部と腕部を備えているくせにずいぶん愛されている。 E藤先生によると二つの触覚が大事らしい。脇腹の部分は触ったら柔らかそうだ、ここは骨が皮膚のすぐ下にあって硬そうだ、と見て取れるのが視触覚。乳房がくっついてるのってどんな感じなのか、この姿勢で立ってるんならこの筋肉が緊張してるはずだとか想像できるのが内触覚。 他に口をすっぱくして言われたのが面、張り、奥行き。わしはまだまだ表面上の形ばっかり追っているそうで、先生からかなりの修正を受けてしまった。たしかに今まで作ってきた作品の中では一番良い出来だが、まだまだ独力で作るのには程遠いので50点といったところ。 ところで、彫刻室にはソファとか冷蔵庫とか電子レンジとか一通り揃っているが、一番存在が有難いのはラジヲである。角間は山奥なので電波状態はそれほど良くはないのだが、ラジヲ無しで一人黙々と作業していてはもういーや帰ろー気分に陥るのが5時間は早まるだろう。ラジアンリミテッドや日産アベレイジみたいなおバカな番組が放送されているのは本当に助かる。伊集院光の深夜の馬鹿力、西尾維新がインタビューで語ってたから聞いてみたいんだが北陸では聞けないのかなあ。ポッドキャスティングじゃなくてラジヲで、作業しながら聞きたいのだが。 |
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