金沢でフランス語、英語、美術を学び、ナンシーへの留学を目論む、はぐれ医学生のブログ。至高にして究極の人形を生みだすために奮闘中。 急げ!人生には学ぶべきことが多すぎる。
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美術手帖7月号の特集は日本のアーティスト
正直な話、コンテンポラリー・アートは一体何を伝えたいのかわかったことがなかった。うりうりと手を振り回してみたらこんなんできました、ってのが腐るぐらいに洪水みたいに溢れていて、何の因果か因縁か知らないけど人目を多く惹きつけちゃった幸運な作品が美術館やギャラリーに並ぶのかいな?みたいな偏見しか持っていなかった。(ファイン・アートにだってそう思うことがままあるけど。)だが今回の特集でアーティスト自らアーティスト論を振りかざしているのを読んで考えを少しだけ変える。彼らの言葉は詩的で哲学に満ちている。内省的なものもあれば、外に働きかけようって言葉もある。作ることでしか伝えられないことがあるから作っている、そんな真摯な姿が垣間見える。でもやっぱり何の説明も無くあの作品の前に立ったら、どんな表情をしていいか分からなくなる確信がある。

西尾康之、陰刻法で有名な人。とてもきれいな水死体を描く。陰刻法というのは、普通の塑像が外側→内側にねちょりと粘土を貼り付けて整形していくのに対し、内側→外側に形作って行く方法らしい。解説によると、鑑賞者は普通の塑像に対しては製作者と同じ立ち位置から作品を見る。陰刻法の彼の作品に対しては、鑑賞者は彼と向かい合う格好になる。ならばあのセイラ・マスを見上げるときも、ふと彼と目が合ってしまう瞬間があるはず。気持ちのいいものではない。見るものと見られるものの逆転。これがアート。

デミアン・ハーストってイギリス人も紹介されている。牛の頭部と蝿を密室に閉じ込めて、蛆がわいて蛹になって羽化して交尾して卵を産んで電熱灯に突っ込んで死ぬ様子を見せるとか、単なる牛やサメのホルマリン漬けだとか、蝶の羽を何万枚も貼るとか、8mの人体模型だとか、数十億円かけてダイヤでギラリと輝くシャレコウベを作っちゃうとか、およそアートという言葉からは想像できないと言うより、もうどんな言葉で呼ぶこともできない。言葉は枠を作る。芸術家は革命家で冒険かだ。相性はお互い良くないだろう。

↓ハーストの作品の動画はこちら。ちょっとグロテスク。


誰もが程度の差こそあれ自己顕示欲を持っている。みんなから注目されたいし、褒められたいし、話を聞いてほしいし、崇められたいと思っている。そんな数え切れぬ競争相手たちと張り合って成り上がってきたアーティストの自己顕示欲に感服した。

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